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【小説】みかん【FREE】

orange

実家でまったりする時間は
なんでこんなにも暖かいのだろう?

人口密度が高いから?
暖房がしっかりときいているから?

どちらもかな?

宿舎の寒々とした自室を思い浮かべると
体がまた冷えてくる感じがして、
お茶の入ったカップを両手で包んだ。

旧正月は1年でまとまった休みが取れる唯一の機会かもしれない。

感染禍が収まってきて、徐々に遠征も増えている。

それに反比例して実家に戻る機会も減っていた。

久々の機会をさらに噛み締めたくて、改めてリビングを見渡す。

夕食後のボードゲームを終え、
父と兄はソファセットに移って、テレビの野球中継を見ていた。
飼い猫のホシとツキは各々の好きな場所でくつろいでいる。

「はい、好きでしょ」

台所で洗い物をしていた母が、カゴに入ったみかんをテーブルに置いた。

私はまるまるとしたそれを手に取って、手の中で転がしながらその感触をしばらく味わった。
くるくると回すと、ふとあの人を思い出す。

母が微笑みながら私の顔を覗き込んだ。

「何か面白いことでもあったの」
「え?どうして?」
「笑ってるから」

無意識に笑ってる自分に少し驚いた。

「まるまるとしてて…イェウンみたいだなって思ってたの」
「イェウンさん?すっごくスリムじゃない」

怪訝そうに私を見ながら、母も一つ手にとって皮を剥き始めた。

「いやスタイルじゃなくて…なんか棘がないというかね」
「あんたとは違うタイプね」
「私が棘あるみたいじゃん」
「そうとも言うわね」

母は笑いながら、ひとかけらの果実を口の中に放り込んだ。
私も皮に爪を入れる。

外はこんなにツルツルなのに、中は繊維でざらついてる。
ますますあの人みたいだ。

あぁいうクールな見た目なのに中身はコロコロしてて可愛くて。
でも意外と考えてて、少し繊細で。

意外っていうと怒るかな。
ぷんぷんしている彼女を思い浮かべると、少し微笑ましい。

今度は顔に出ないように深呼吸した。

「コロコロしてて可愛いし、だから私がイェットンってあだ名つけたんだ」
「そうなの?」

あだ名にはあまり興味がなさそうな母の顔を見ながら、一切れ口に運ぶ。
冷蔵庫から出されてしばらく経っているはずだけど、
果実はまだひんやりとしていた。

家族と暖房の効いた部屋で温まった体が
内側からじんわりと
心地よく冷やされてくる。

皮を剥いて、黄色みを帯びた手を眺める。

「みかんを剥くと、こうやって色がつくじゃない」
「あなたは本当にたくさん食べるから、手が黄色くなるよね」
「なんかこの距離感が本当イェウンに似てる」
「そう」

母は優しく微笑んだ。

「今度宿舎にみかんをたくさん送ってあげるから、イェウンさんにも渡しなさい」
「イェウンはチョコの方が好きだよ」
「それはあなたがあげればいいでしょ」

ピシッと言うと、母は最後のひとかけらを食べて、テーブルに落ちた繊維を集め始める。

「それにあなたに食べてほしいからね」
「うん?」
「気づいてないかもしれないけど、イェウンさんの話する時、優しい顔してたよ」

あぁ隠しきれてなかったと思うと、少し冷えた顔が急激に熱くなってくるのを感じた。

「そういう気持ちを忘れてほしくない。忘れる子だとは思わないけど…でも人間は慣れるから。
今ある幸せを忘れてしまうからね」

手際よくテーブルの上を綺麗にして、母がみかんを食べた痕跡がすっかりなくなった。

私の目をまっすぐ見据えて、母は続ける。
昔からこの目には弱い。
すべてお見通しの目だ。隠せる気がしない。

「だからね、美味しくみかんを食べながら、あなたがイェウンさんをみかんと似てるって思ったこと、あだ名をつけたこと、私にそういう表情で話したこと、忘れないでね」
「分かってる」
「大切にしなさいね」
「分かったよ」
「よし」

母は微笑んで頷くと、席を立って台所へ向かった。
洗ったお皿を食器棚に片付ける音を聞きながら、私は残りのみかんを食べる。
静かに近づいてきていたツキが私の手元に近づいて、黄色くなった手元の匂いをかいで控えめに舐めた。

「美味しい?」

にゃあと呟いて私を見る。
ツキの顔を見て、またイェウンに似てると思う。

何でもイェウンに見えるんかい。

自分につっこんで、残った果実を一気にを口に放り込む。
味に慣れたはずの口の中で、さらに甘さが広がった。

この幸せに慣れないように。
この甘さを忘れないように。

「大切にしなさいね」

母の言葉を反芻しながら、手を拭く。

まだ起きてる?
ご飯食べた?

彼女の笑顔を思い浮かべながら、私はポケットのスマホに手を伸ばした。

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